2015年5月25日月曜日

趣味は読書の鉄壁さ

「趣味は読書です」と言う人にはあまり会ったことがないが、
そう言われたら多分「あ、知的な人なんだ」「物静かな人なのかな?」と思ってしまうだろう。
そういうイメージ。

「最近はよく雑誌や本を読んでます」と言われれば「へ〜どんな本?」と気楽に返せるが、
ズバリ「読書」と言われるとその奥深さにおののいてしまう。
うかつに会話を続ければ自分の知識の浅さが露呈してしまうから。

「こないだ村上春樹の新作をやっと読破しました」
「あなたもハルキスト? 僕も読みました。 あの作品は〜」 なんて会話、俺は一生することがないと思う。

とにかく読書はなにか、ふざけようがなく、茶化しにくく、『賢そう』なので、
ケチのつけようがない、ゆえにとっつきにくい鉄壁の趣味なのだ。

そこには憧れがある。

大体、先に書いた会話相手は全て女性を想定している。

まじめで成績優秀、いつも図書館で本を読んだり、勉強しているような委員長(もちろん女の子。しかもかわいい)
話しかけたいけどきっかけがない…。
儚いあこがれ…初恋…。

“読書”という言葉が持つ繊細さ、限りなく透明に近いブルーさ、純粋さ、そして『触れてはならぬ感』はこのイメージを内包しているからなのだ!

まあ、全てベタな妄想だけど。


こないだ、読みたかった本が手に入らないのでネットで古本を買った。
本の価格はナント1円!、送料が257円で合計258円。

これで一体誰が儲かるのだ? 

本当に不思議だが、他人の商売を心配するのもバカらしいので考えるのはやめた。


古本はあまり好きじゃない。
活字本は長い時間を共にするため、時にソファーで、時にベッドで読む。
そういう時身に覚えのない、ページに挟まったおかしのクズ、何かよくわからない「毛」などがはらはらと落ちてきたら、微妙な気持ちになる。
古本は前の持ち主の影に怯えなければならない。

しかしこれが電子書籍にはない、物体としての本の強みでもある。
紙の質感。手触り、インクと紙の匂い。古本であれば前の持ち主の痕跡など、
そういう人間味、ドラマがあるじゃあないか。

そういえば『匂い』

古本は明らかに新品とは違う、古本屋独特の香りがする。
あの匂いは何の匂いだろう? 紙が年月を重ねて?
防虫剤? 

届いたばかりの古本を手に取り、匂いを嗅いでみる。
『できれば新品みたいな匂いがしないかな?』

想像していたのとはまったく違う匂いがした。

女性の香水のような、化粧品のような匂い…
ありていに言えば、1人暮らしをしている女性の部屋の匂い。

あまりに想像とかけ離れていて動揺した。
でもちょっと得した気になった。

俺は知的とは程遠い人間だと思った。



2015年5月12日火曜日

嫌いな事があるので、本を読むことにした。

特に理由はないけど「嫌だなあ」と思うことってないですか?
あるいは不条理な理由で「気にくわない」こと。

複雑な思考をもつ人間、自分でも理由が分からない『よく分からないが気に入らない』が
1つや2つあって当然です。
むしろ『分かるけど気に入らない』ことすらあるのが人間じゃないですか?


今回はブログを再開しようと思った話です。

昨年、携帯電話をガラケーからiPhoneに変えました。『別に…』みたいな気持ちで
スマートフォンに変更したのですが、これがまあ超便利!
WEBを見ることに関しては画面が小さいだけでほぼパソコンと同じ、うちの長男(6歳)
は、いつの間にか見よう見まねでスマホを扱えるようになり、
保育園で情報を仕入れてきたのか、
youtubeで『ヒカキン』とか『レオンチャンネル』とかいう動画を見ているのです。
ついつい「ちょっとだけなら動画見ていいよ」と言っちゃう甘いパパである

今、この時代に生まれてきた子供たちです。現代の常識としてこのようなデジタル機器を普通に扱えることも必要だと考えていますが、でも俺はどうしても『気にくわない』ことがあります。

子供達が各々の3DS(任天堂の携帯ゲーム機)やタブレットを持って集まり、ゲームをしている姿です。顔と顔を突き合わせているのに、各自が自分のゲーム画面に視線を向けて遊んでいる姿がイヤなんです。
別のモニタを見ててもみんなで1つのゲームをしていることも分かっていますし、それが今の子供達のコミュニケーションツールになっているのも分かるのですが、なんかイヤ。
そりゃ俺だって複雑な思考をもつ人間ですからね。とにかくイヤなんですよ。 

かつて自分の親達が、ファミコンを苦々しく思っていた気持ちが今ならなんとなく分かります。


だから、まだ3DSを買ってやるつもりはないし、携帯で動画を見せるときも厳しく時間制限しています。

ところが、ところがです! 当の俺の方が何かとiPhoneばっかり見てしまうのです。なんせWEBでありとあらゆる情報を調べられるんですから。

一応、時間がゆるせば家族で同じ空間にいることも大事と考えている私。
子供たちをお風呂に入れ、晩御飯を食べさせ、ひとしきり一緒に遊んだ後。
子供たちはテレビを見たりおもちゃで遊んだり。妻は食事の片付け。
そういう時、俺はついついスマホ見ちゃうんです! 

「なんでお父さんは良くて僕はダメなの? お父さんズルい!ケータイばっか見て!」

だよね、お父さんズルいよね。分かるよ君のその気持は。
逆の立場なら俺も絶対そう言うな。
こりゃしめしがつかないな、と。

でも、携帯は制限してもテレビはほぼ自由に見せているので、俺はテレビを見て楽しむこともできないし、手持ち無沙汰なんだ、パパは!

そういう時、リビングで過ごす父親としてふさわしい姿とはなんだろうか? 

新聞読んだり、本を読んだりすればいいかと考えたのです。

ひょっとしたら子供も「お父さん勉強してる」と、

俺をより尊敬してくれるかもしれないし。


そんな訳で読書に力を入れようと思う最近。

本を読んでると、不思議と自分でも文章を書いてみたい気になるのです。
映画や漫画を観ても、「じゃあ俺も撮ろう、描こう」とは決して思わないですが、
文章の場合は思考とイコールで、頭の中で完結できるからでしょうか。

そういう、風が吹けば桶屋が儲かる。的なiPhoneに替えたらブログ再開したくなった話。

どこがどう繋がるか、分からないものです。

最近読んだ本。本棚を見ると、その人の人柄が分かるといいます。

2015年5月4日月曜日

きっかけが必要なんです。

もう2年間ほったらかしにしているこのブログ。

なんでそうなったのかと言いますと

このブログをはじめた当初、お付き合いしてくれていたブロガーさん達が徐々にブログから遠のいていったことの寂しさ、
また日常のちょっとしたことはfacebookに書くようになって、ブログを書くことの興味が薄れ、結果ここを更新することがなくなりました。

でも時々自分が書いたブログを見返すと、結構面白いんです。

「俺って良い文章書くな〜天才だわ。小説書いて賞に応募しよ。」

ってことじゃなくて、
過去の自分が何にハマってて、こんな事を考えてた。とか、もうホントのホント
日記的に面白いのです。ブログですから。

最近ちょっとしたきっかけもあったので、またブログを書こうと思いたちました!

「日記ならチラシの裏にでも書いてろ、このヤロー」

とも自分で思うのですが、

まあ、そう言わず。

結局人って寂しい生き物じゃないですか?

悩み事があって、インターネットで検索してみたりすると、
同じ事で悩んでいる人のブログやQAやyahoo知恵袋が引っかかって

「ああ、自分だけじゃないんだ…」

と少しホッとしたりすることないですか?

別にそれで問題が解決する訳じゃくても、同志がいると思うとちょっと心強い気になったり、ならなかったり。

だから俺の拙い文章でも、ひょっとしたら誰かが楽しいと思ってくれたり、共感してくれたり、もしかしたら助けになる………ようなことはまずないか。
同じ趣味や興味を持つ人と知り合えたらいいな〜と思いつつ、公の場であるWEB上で日記を書くよ! 今日から俺は!